「J-MICC研究—愛知県」愛知県がんセンター研究所 疫学・予防部
愛知県は日本列島のほぼ中央に位置し、首都圏、近畿圏とともに三大都市圏の一角である中京圏の中心であり、日本経済を大きく支えています。愛知県がんセンターは名古屋市東部に位置する東海地区のがん診療・研究の中核拠点の一つです。同センター研究所の疫学・予防部では1988年から、同センター中央病院の初診の患者さんを対象とした「病院疫学研究」を実施してきました。これは病院をフィールドとした疫学研究としてはわが国で最も長期間にわたるユニークな研究の一つです。2005年、J-MICC研究の開始に伴い、この病院疫学研究を「初診の患者を対象としたがんなど生活習慣病の遺伝・環境要因に関する研究」に発展させ、その中でJ-MICC研究の参加者を募ることになりました。現在、ベースライン調査で登録された約9,700名を追跡しています。
(取材日:2015年9月15日)
自分が収穫する結果は先達の疫学研究者が仕込んでいたデータが与えてくれたもの
田中英夫氏(愛知県がんセンター研究所 疫学・予防部部長/J-MICC研究 主任研究者)
- 愛知県がんセンター研究所がJ-MICC研究に関わるようになった経緯を教えてください
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田中氏 当センターはJ-MICC研究が立ち上がるときの主要メンバーの一つです。疫学・予防部ではJ-MICC研究に先行し、初診の患者さんを対象とした大規模な病院疫学研究「愛知県がんセンター病院疫学研究(HERPACC)」を実施してきましたが、J-MICC研究の前主任研究者である浜島信之教授が2003年まで当センターの疫学・予防部でこの研究を主導していました。こうした経緯から、HERPACCのシステムをJ-MICC研究に活用することになったのです。
- 関わっているスタッフの職種と人数は?
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田中氏 正規の研究員4名とリサーチレジデント2名、他に非常勤の看護師、臨床検査技師、管理栄養士と事務職員が最も多いときで16名いましたが、リクルートが終了した現在は、正規の研究員と臨床検査技師の他、5名の非常勤職員が、業務を担当しています。
スタッフの地道な作業が貴重なデータに結びついている。
- リクルートと進捗状況を教えてください
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田中氏 2005年11月から2013年3月までに、35〜69歳の当センター初診患者さん9,700名が登録されました。1万人のリクルートが目標だったので、ほぼ目標を達成した形です。ベースライン調査は3年ほど早く終える予定でしたが、同一施設でリクルートを続けていると新規参加者の増加ペースは鈍っていく傾向があり、目標に達するまでに時間がかかってしまいました。現在は、この9,700名を対象に死亡と死因などの追跡調査を経年的に行っているところです。第2次調査は2018年度まで続きます。また現在、ベースラインデータとベースライン調査時の採血で得た生体試料を使った横断研究を進めています。
生体試料は大切に冷凍保存されている。 - 愛知県がんセンター研究所におけるJ-MICC研究の特徴を教えてください
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田中氏 がん専門病院の初診患者さんが対象であることが大きな特徴です。参加者の約半数はがんに罹患しています。このように他のサイトとは属性の違う対象者が入っているのが、われわれの研究の強みだと考えています。
- 田中先生は2010年度から主任研究者を務めていますが、ご自身がJ-MICC研究に参画した経緯を教えてください
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田中氏 私が当センターに着任したのが2007年10月で、すでに当センターでのJ-MICC研究は始まっていました。J-MICC研究は日本では初めての大規模なゲノムコーホート研究であり、私にとっても初めての経験でしたので、多くの方の指導を受けながら、その意義を十分に感じて研究に携わってきました。
- 疫学研究は結果が出るのに時間がかかります。ジレンマを感じませんか
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田中氏 J-MICC研究のような前向きコーホート研究は、結果の意義の大きさを考えれば時間がかかるのは当然です。研究が終わる2025年には、私はすでに退職しているでしょう。私も若い頃は先人が蓄えたデータを使って解析して研究発表をさせてもらっていました。「林業」のようなもので、自分が収穫する結果は何十年も前に先達の疫学研究者が仕込んでいたデータが与えてくれたものです。やがて世代交代し、今度は自分がデータを仕込む役割となり、収穫するのは若い世代の人です。それが疫学研究のサイクルであり、そういう流れの中で、ある一時期に自分のできる仕事をすればいいのだと思います。
- J-MICC研究を進める上でのご苦労は?
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田中氏 主任研究者として公的資金をいかに切れ目なく獲得して運営していくかということが、私の今のストレスのほとんどです(笑)。コーホート研究に対する社会の評価は一定していません。この5年を振り返るだけでも、他の研究との差別化も含め、一つのコーホート研究の存在理由は刻々と変わっていくという印象です。その中でJ-MICC研究の存在意義を確固たるものにしなければなりません。
- 研究を成功させるための鍵は何ですか
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田中氏 公的資金を投入して継続しているわけですから、研究のメリットを多くの関係者に理解していただくことが重要です。また、コーホート研究では一人の研究者が始めから終わりまで関われるとは限らないので、研究のノウハウを引き継いで、クオリティの高い追跡情報を得られるようにしなければなりません。
- J-MICC研究における先生のやりがいは?
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田中氏 数年後には疾患の発症をエンドポイントとした結果の解析が進み、日本からアジアなどに向けてのエビデンスが発信できる日を楽しみにしています。安定した成績を出すには数も必要です。100年は揺るがないような決定的な情報を得るには、J-MICC研究と他のコーホート研究のデータを統合して解析するのが望ましいと思います。東北メディカル・メガバンク計画や国立がん研究センターの多目的コホート研究JPHC、J-MICC研究とも調査票を共有している山形県コホート研究、慶應義塾大学の鶴岡メタボロームコホート研究などとの連携を強めて、オールジャパン体制の共同研究でアウトプットを出していくことが、研究の効率化や国際競争力の強化のためにも重要です。
- 仕事に臨む際に大切にしていることは?
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田中氏 義務だと考えるとパフォーマンスが下がるので、楽しんで仕事をするように心がけています。気分転換も大切です。仕事から離れてほっとするのは、海や山など自然の中に身を置いているときです。日本庭園を見るのも好きで、京都の禅寺によく出かけます。お勧めは、東福寺、南禅寺、妙心寺、天龍寺、竜安寺などですね。
リクルートは、参加者の診療に支障がないように注意
伊藤秀美さん(愛知県がんセンター研究所 疫学・予防部室長)
細野覚代さん(愛知県がんセンター研究所 疫学・予防部主任研究員)
尾瀬 功氏(愛知県がんセンター研究所 疫学・予防部主任研究員)
- 皆さんがJ-MICC研究にかかわるようになった経緯からお聞きしたいと思います
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伊藤さん
名古屋市立大学医学部を卒業して初期研修後、一般呼吸器内科医として勤務したのち、当センター中央病院レジデントとして肺がん治療に携わりました。大学院では記述疫学や分子疫学研究にも携わりました。浜島先生とのご縁、また内科の恩師である教授の上田龍三先生に「女性は疫学に向いている」と勧められたこともあって疫学・予防部へ来ることになりました。それが2001年のことで、2004年にJ-MICC研究の準備段階から関わることになりました。HERPACCは、がんに罹患された方とそうではない方の間で生活習慣や遺伝的な個人差を比較する症例対照研究でしたが、その質問票がJ-MICC研究の調査票の元になっています。当時の室長で名古屋大学に移られた若井建志先生とともに、どの質問項目をJ-MICC研究で使うかといった取り決めに関わっていました。尾瀬氏
岡山大学医学部を卒業後、腫瘍内科医・呼吸器内科医として肺がんを中心とした悪性腫瘍の薬物治療に携わったのですが、その中で臨床試験に興味を持ちました。その勉強のために2008年にリサーチレジデントとして当センターへ来ました。以来、J-MICC研究のベースライン調査での対象者への説明業務に携わるようになり、2012年に正式にスタッフになりました。 - 初診患者から研究参加者を募集するにあたっての仕組み、あるいはご苦労などをお聞かせください
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伊藤さん HERPACCと同じ流れで、初診患者さんの受付から診療科へ向かう間に健康調査に関するブースを作って、そこで研究参加の募集を行いました。了解していただいた方には診療待ち時間の間に質問票への記入、そして採血という流れを作りました。ですから、リクルートは2005年12月から2013年3月まで毎日行っていたことになります。
細野さん 募集対象者はがん専門病院の初診患者さんですから、がんの疑いがあって精神的に追いつめられている方もいます。ですから、リクルートにあたっては、そういう方やご家族の負担にならないように、また診療に支障がないようにといったことに注意しました。
- 奇しくも皆さん、臨床から疫学への転向組ですね
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伊藤さん 肺がん治療に携わる中で肺がんの予後の悪さを目の当たりにし、予防の重要性を痛感しました。それが疫学研究に取り組むモチベーションになっています。
細野さん 臨床医には直接患者さんと関わって治療ができるという喜びがあります。でも、今は一歩引いて全体を見ることに興味があります。疫学研究は結果を患者さんや一般の方にすぐに届けられる点が魅力です。
尾瀬氏 私は臨床研究も手がけており計画立案や解析のお手伝いをしていますが、そういう仕事が必要だと思っている臨床医も少なくないものの、なかなか一人では手が回りません。私より腕のいい臨床医はたくさんいますので、私はこちらの分野で仕事をしたほうが多くの人の役に立てると思っています。臨床研究と疫学研究には違いもありますが、基本的な方法論は同じだと考えています。臨床研究では対象を標準治療群と新治療群に分け、疫学研究では生活習慣などを曝露群と非曝露群に分けて対比します。ですから、私はあまり区別をしていません。
- 疫学研究の面白さはどこにありますか
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伊藤さん 得られたエビデンスをそのまま予防につなげることができる点です。人と接し、地道にデータを整えるといった作業が多く、上田先生が言っていたように女性に合っているような気がします。
尾瀬氏 疫学研究は、研究の種類にもよりますが、結果が出れば明日からでもダイレクトに人の健康に役立つ知識として提供できます。私は特にがんへの罹りやすさと罹りにくさの違いに興味がありますが、J-MICC研究で得られたエビデンスからは、がんに罹患してしまった人に対しても、寿命を延ばすための生活習慣などを提示できる可能性があります。
- 疫学研究を実施する上で重要な点は?
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伊藤さん 私が疫学・予防部に来た当時の部長だった田島和雄先生が、疫学研究は95%がデータを作り上げていく作業であって、データを解析するのは残りの5%だとおっしゃっていました。疫学研究には根気が必要です。また、成果を出していくには、常に新しい情報や知見へのアンテナを張っておくことも必要です。
細野さん まずはチームワークです。それから、研究者が熱心になりすぎて押しつけになってしまう場合もあるので、冷静さとバランス感覚も必要です。協力してくれる患者さん、病院のスタッフ、研究者、サポートしてくれる人たち全体を見ないとうまく回りません。
尾瀬氏 研究参加者への配慮だと思います。身体の具合が悪くて受診した方にかなりのページ数のアンケートに答えていただきますし、自分の病気の治療に役立つわけでもないのに採血させていただきます。ですから、患者さんが負担を感じないような対応や、研究の意義や結果をお伝えすることで「研究に参加して良かった」と思っていただけることが大切です。実際に、第2次調査の際には研究参加者の方へ、これまでの研究成果をまとめたリーフレットを配布しています。
- J-MICC研究を成功させる鍵は何ですか
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尾瀬氏 追跡をしっかりすることです。データを作り上げるまでは日々の地道な努力の積み重ねですが、そのプロセスがあってこそ有益なアウトカムを出すことができます。
伊藤さん 分子疫学やバイオインフォマティクス、オミックスなど他の研究領域の方々と上手に手を組んで成果を出していくことが成功の秘訣ではないでしょうか。
- J-MICC研究、あるいはそれ以外についての今後の抱負をお聞かせください
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伊藤さん J-MICC研究で将来明らかになる遺伝・環境要因と疾患との関連から、個々のリスクに基づいた個別化予防を実現できればと考えています。HERPACCにも継続して取り組んでいきます。症例対照研究はコーホート研究に比べるとバイアスは多いのですが、結果が出るまでに時間がかからず、少ない病気の罹患を見るのに適している面があります。両者を上手に組み合わせれば確実な成果が得られると思います。
細野さん J-MICC研究の参加者から有志を募って個人的な研究もさせてもらっており、遺伝子や生活習慣の情報をがん種ごとの予防につなげる方法を明らかにしたいと考えています。
- 仕事に臨む際に大切にしていることは?
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伊藤さん 常に科学的でありたいと思っています。ときには妥協も必要ですが、科学者としての一線からは逸脱しないことを心に留めて研究に臨んでいます。疫学研究は人を対象としており、倫理的であることも大切です。
細野さん 疫学研究には多くの人が関わりますし、自分の思うように進まないことも多々あります。それに対して怒ったりせず、気長に考えるようにしています。
尾瀬氏 データを丁寧に見ることです。雑に解析してしまうと、データのミスに気づかずに大切なことを見落としてしまいます。不審なデータに突き当たった場合は、一人ひとりのデータに立ち返ったり、実際に書いてもらった調査票を見直したりもします。
- 最後は全員に、仕事から離れてほっとするときや、趣味・特技などをお聞きしたいと思います
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伊藤さん 家に帰って子どもと接したり、寝顔を見るときがほっとします。一人でボーッとするのも良い息抜きになります。特技はルービックキューブです。小学生のときにずっとやっていたせいか、2〜3分で6面を揃えることができます。そうやって集中していると、不意に仕事のアイデアが生まれてきたりもします。
細野さん 私は洗濯をしていると癒されます(笑)。趣味では最近、人形浄瑠璃を観に行くのが好きで、愛好仲間と一緒によく大阪の国立文楽劇場などに遠征しています。好きな演目は庶民を描いた世話物です。人間って江戸時代からあまり変わっていないことがわかって面白いですよ。
尾瀬氏 天気の良い日など自転車で当てもなくふらふらと出かけます。知らない道を通ると新たな発見があります。臨床医時代と比べて生活スタイルはだいぶ変わりました。研究者はある程度自分で長期的な計画を立てられる面もあるので、時間のコントロールができます。逆に自由に時間を使えるので、「今日は遅くまで頑張ろう」ということもありますね。
J-MICC研究の関係資料(第4版)を手に。