明日のJ-MICC研究を支えるフロントランナーたち:第10回

J-MICC研究への思い「J-MICC研究中央事務局」― 名古屋大学大学院医学系研究科予防医学講座

名古屋大学大学院

2005年にスタートしたJ-MICC研究は10周年を迎え、予定されている20年調査の折り返し地点を回りました。研究参加者は計画当初の目標であった10万人を達成し、現在は第二次調査・追跡調査を行っています。J-MICC研究の中央事務局は、名古屋市で最初に整備された歴史ある都市公園・鶴舞公園の北側にある名古屋大学大学院医学系研究科予防医学講座に置かれています。中央事務局は研究全体の事務を担当するとともに、各地で行われている研究の支援やその結果の集約公表も担っています。さらに、すべてのサイトから半分量の生体試料を預かっており、研究参加者のデータと検体を一元管理し、長期間保存を行うことも重要な役割の一つです。

(取材日:2015年11月26日)

J-MICC研究の立ち上げに関われたことを誇りに思っています

浜島信之氏(名古屋大学大学院医学系研究科医療行政学/ヤング・リーダーズ・プログラム教授)

初代主任研究者としてJ-MICC研究に関わることになった経緯を教えてください

浜島信之氏

浜島氏 1990年前後に文部科学省と厚生労働省による2つの大規模コーホート研究がスタートしました。前者は名古屋大学、後者は国立がん研究センターが中心となり、生活習慣によってどのような病気になるかを追跡する調査でしたが、遺伝子型と生活習慣を組み合わせた研究デザインではありませんでした。研究者たちは新たなゲノムコーホート研究が必要だと考えており、2003年頃からさまざまな研究が始まりました。2003年はまさに私が愛知県がんセンターから本学に教授として着任した年で、ゲノムコーホート研究を担当するチームを決める際、経験のある名古屋大学にと白羽の矢が立ちました。研究デザインの策定などについては、愛知県がんセンターで上司だった田島和雄先生や放射線影響研究所の中地敬先生のご尽力もありました。

スタート当初のご苦労は?

浜島氏 ゲノムを使った研究に社会から厳しい目が注がれていた時代であり、厳密な説明と同意のプロセスが必要でした。その手続きが厳格だったために、参加を呼びかけた方から「怖い研究では?」との疑念を持たれました。疫学研究には、手続きを踏めば踏むほど参加者は研究を不安視するという側面があります。そうした厳しい状況の中でも、研究をやり抜こうというメンバーの使命感が原動力となりました。J-MICC研究は政府の事業として実施しているのではなく、研究者の熱意の上に成立しています。研究員の多くは専従ではありませんから、自分の時間を割いて研究に従事します。当時、私たちは土日も含め毎日夜10時頃まで仕事をしていました。費用対効果を考えると、J-MICC研究は研究者らが支えた世界一のコーホート研究という自負があります。もっとマンパワーがあれば良かったのですが、大学医学部では特定の研究に大きな予算を割くことはできません。ただ、公衆衛生学部であればもっと多くの人員配置が可能です。日本の大学も公衆衛生学部を設置すべき時期に来ていると思います。

当時の皆さんの熱意はどこから来ていたのでしょうか

浜島氏 大規模コーホート研究、ゲノムコーホート研究に関与したいという思いからです。当時、遺伝子環境交互作用に関する研究が報告され始め、J-MICC研究で実証できるという認識がありました。世界初のエビデンスを発信できるかもしれないという夢を持っていたのです。ただ近年になって、ゲノム全体をカバーするGWAS(ゲノムワイド関連解析)のような手法が可能になり、疾病発生リスクを決定する遺伝子は簡単に見つからないことも明らかになってきました。高血圧の遺伝子をGWASで調べた研究がありますが、結局見つかりませんでした。高血圧症には塩分感受性や肥満など多くの原因があるからです。それぞれのタイプに特有の遺伝子型はあるかもしれませんが、高血圧と一括りにしてしまうとリスクに関与する遺伝子を特定することはできません。

コーホート研究の価値をどう考えますか

浜島氏 多数の人を対象として原因と結果の因果関係を評価できることです。研究手法は他の分野の技術と共に発展します。近年では情報技術で生活習慣を客観的に評価できるようになりましたし、医療を受けた際の診断名や死亡情報とリンクするマイナンバー制度もできました。今後、マイナンバーを活用した国全体でのコーホート研究も行われるかもしれません。個人情報の漏洩を懸念する人もいますが、疫学者は研究分野での活用を肯定的にとらえています。

今後の抱負を教えてください

浜島氏 現在、文部科学省が進めるヤング・リーダーズ・プログラムを担当しています。これはアジア諸国などの指導者として活躍が期待される行政官などの若手指導者を日本へ招く留学プログラムです。私自身はアジアの保健省の人たちに疫学、公衆衛生、医療行政、医療システムの設計などの指導を行っています。日本から一歩外へ出ると、汚職が普通に行われていたり、地域全体の幸福よりも特定のグループの利益が優先される国もあります。アフガニスタン、ウズベキスタン、ミャンマー、ラオス、カンボジアなどいろいろな国を回りましたが、政治的な争いの中で医療が適切に提供されない国もあり、そういった国々の社会システムを良くする一助になるよう、これからの時間を使いたいと思っています。

研究の種を蒔いたご自身は収穫に関われませんが、そのジレンマはありませんか

浜島氏 人生には巡り合わせがあります。私はJ-MICC研究の立ち上げに関われたことを誇りに思っています。あと5年で定年ですが、85歳までは生きるつもりなので(笑)、成果を見届けられるでしょう。それで十分です。

仕事に向き合うときに大切にしていることは何ですか

浜島氏 仕事は勉強です。勉強は私にとって喜びであり、時間があれば勉強したいと思います。語学もそうです。私はしばらくハングル語をやっていましたが、いまはモンゴル語とラオス語、ミャンマー語を並行して覚えています。それから、私は東日本大震災のときに支援に行きたかったのですが、この30年臨床から離れており、医師として役に立たないと思ったので諦めました。それが残念でなりませんでした。その後、ある市民病院の院長から若い臨床医を送ってほしいと頼まれ、「私が行きます」と手を挙げ、3年前から内科外来を担当しています。そのときは3か月間、1日5時間臨床を勉強しました。いまも毎週、外来診療をしていますが、それがとても嬉しいのです。医療行政を考えるためにも現場を知ることは重要です。その体験がヤング・リーダーズ・プログラムの授業に役立っています。

仕事を離れてほっとする時間は?

浜島氏 家内には叱られますが(笑)、日曜の午後に大学の研究室で好きな勉強をしている時間がいちばん楽しいですね。

限界もある中で、その時点でできるベストを尽くす

若井建志氏(名古屋大学大学院医学系研究科予防医学分野教授)

J-MICC研究全体の進捗状況はどのようになっていますか

若井氏 ベースライン調査は2009年度に終わる予定でしたが、目標の人数に達しなかったので2013年度まで継続し、最終的に10万1000人あまりの参加を得ることができました。第二次調査はベースライン調査から4年以上7年未満の間に行うこととなっており、各地区の状況に応じて実施されています。

中央事務局の役割を教えてください

若井建志氏

若井氏 参加者の方々から提供していただいた調査票や血液検体を一元管理します。検体に関しては、追跡調査によってがんへの罹患や死亡などを調べて、その段階で罹患された方と罹患されていない方の血液中の成分や遺伝情報に違いがあるかどうかなどを分析します。それまで検体が傷まないように名古屋大学にある冷凍庫室で管理しており、29台のフリーザーに約70万本の検体が保管されています。また、参加者からのデータのみならず、地域がん登録などを利用した追跡調査によってがんに罹患したかどうかといった情報も中央事務局で収集しています。さらに、一般市民や研究参加者、研究者への広報活動も担っています。




大学院生のアイディアでフリーザー一つ一つにアニメキャラクターの名前がつけられ、親しみを持って管理されている。温度管理は厳格に行われており、土日祝日もスタッフの誰かが必ずチェックしている。

データの管理には細心の注意が払われているかと思いますが?

若井氏 疫学研究では、データがある程度集まった時点で匿名化を行います。その手段には、連結可能匿名化と連結不可能匿名化があります。前者は、符合や番号による個人との対応表を残しておき、必要な場合に個人を識別できるようにする方法です。後者は、対象者に新たに付与された符合や番号の対応表を残さない匿名化です。通常の研究では連結不可能匿名化を行います。しかし、J-MICC研究の場合は追跡調査をする必要があるので連結可能匿名化を行っています。中央事務局では、参加者のデータと検体を個人識別のための数字とともに保管していますが、対応表は各地区で保管していただいています。追跡調査で得られたがん罹患情報や死亡情報は、各地域で同じ個人識別番号が付けられて送られ、中央事務局でその番号を用いて保管されている情報と連結します。同意の撤回があった場合は、各地区から個人識別番号を知らせてもらい、それに該当するデータや検体を廃棄しますが、その作業にも手間がかかります。

どのような経緯でJ-MICC研究に関わることになったのですか

若井氏 9年ほど前に愛知県がんセンターから赴任してきたのですが、2004年度から田島和雄先生のもとでJ-MICC研究の計画作成に参画していました。J-MICC研究が始まった当初は一地区の研究員として関わっていました。

疫学研究の面白さはどこにありますか

若井氏 日本では、米国などで疫学理論が発展した1980年代にこの世界に入った人には統計手法や数字そのものに興味のある研究者が多く、2000年代になると社会問題に関心を持つ研究者が増えてきたという印象があります。私は前者であり、かならずしも学問的ではありませんが、数字がきれいに並んで結果の出るときが面白いですね。


J-MICC研究の意義は?

若井氏 疾患発生リスクが上昇する遺伝子型と生活習慣の組み合わせを特定する意義は大きいと思います。また生活習慣とがんとの関係は明らかになってきましたが、例えばがんに対する食事の影響にしても必ずしも一定の見解は得られていません。単に生活習慣と病気との関係を考える上でも、遺伝的背景を考慮したほうがより明確になる可能性があります。

J-MICC研究への今後の抱負を

若井氏 まずはデータを整えて、追跡調査の結果から分析が可能になる状態に持っていかなければなりません。研究結果から期待できることの一つは早期の診断マーカーの開発です。最近、網羅的解析(オミックス解析)技術の進歩により、少量の採血でがんの早期診断が可能になりつつあります。例えば、膵臓がんと診断された方の何年か前の検体を調べることで、血液の成分の中で早期診断に有効なものを見つけることができるのではないかと思います。実際に検討しているマーカーもあります。

研究に向き合うときに大切にしていることは何ですか

若井氏 限界もある中で、その時点でできるベストを尽くすことです。疫学研究は長期にわたりますから、その間さまざまな状況の変化などがありますが、極力最初に決めた計画どおりに実施することが大切ではないでしょうか。それから、研究というのは研究者の都合に流れがちですが、疫学研究は相手のあることなので参加者を尊重するという姿勢は忘れないようにしたいと思います。

患者さんを診ていて疫学に興味が湧きました

岡田理恵子さん(名古屋大学大学院医学系研究科予防医学分野研究員)

J-MICC研究に関わることになったきっかけを教えてください

岡田さん 私は腎臓内科医として名古屋第一赤十字病院に6年ほど勤務していましたが、大学院で勉強をさせていただくことになったときに、できればマウスの実験ではなく人を対象とした研究に携わりたいと考えました。それで浜島先生にお願いして移籍させていただきましたが、それが2006年でちょうどJ-MICC研究が始まっており、人手も少ないということで参加することになりました。

疫学のどういう部分に興味を持たれたのですか

岡田理恵子さん

岡田さん 患者さんを診ていて、こういう人はこういう疾患になりやすいという傾向に気づくことがありました。例えば、慢性腎不全の患者さんに不明熱の形で現れる結核の発症が多いのではないかという印象を持ちました。でも、検査では陽性に出ないので診断に苦慮します。昔から腎臓内科では、熱が下がらなければ抗結核薬を使ってみるという慣習があったようで、実際に熱が下がる場合も少なくないのですが、誰も検証したわけではありませんし、海外の論文などを引いてもその因果関係は出てきません。専門の先生に聞いても「そうかもしれないね」の一言で終わってしまうのですが、数を集めてみたら一定の傾向が出るのではないかと考え、疫学への興味が湧きました。

中央事務局としてのご苦労は?

岡田さん 血液検体を保管する冷凍庫室では、参加者1人の検体を安全のために4つのフリーザーに分けているのですが、ある方の検体を取り出したいというときに、それを特定して1本だけを抜いてくるのが大変です。相手にしているものは膨大ですが、扱う数字は細かい。IDとの格闘をしているような感じがあります。

疫学研究を実行する上で重要な点は何だと思いますか

岡田さん 整合性のあるデータを将来につなげることです。研究の期間が長いので、将来分析する人がわからなくならないようにしっかり整理しておかなければと思います。当初、各サイトからのデータをデータベースに吸い込む仕組みがまだ確立していませんでした。そこで、自分でアクセスの仕方を勉強して、とりあえず作ったシステムをベースにデータ管理をするようになりました。ときにデータの差し替えもありますし、当然必要なデータを抽出することもあります。しばしば見直して間違いを発見したら訂正することも必要です。これは中央事務局ならではの作業です。年々データ量は増えてきますし、責任重大だと感じます。

J-MICC研究の意義をどうお考えですか

岡田さん 遺伝子情報の数が非常に多く、詳細な調査票のデータがあるので、今後細かい検討によってさまざまなことが明らかになると思います。例えば、両親ががんだった場合のがん発症リスクなどは、データの数が少ないと明確なことがわかりません。しかし、ボリュームが大きければ分析が可能です。

先生が仕事に向き合うときに大切にしていることは何ですか

岡田さん 各サイトの方々が苦労して集めたデータをいただいて管理しているということを忘れないようにしています。

仕事から離れてほっとするときや趣味などを

岡田さん 子どもが2人いて家はいつも大騒ぎなので、研究室に来るとほっとします(笑)。趣味は歴史です。とくに中央アジアの歴史が好きで、最初に教室へ挨拶に来たときに「浜島先生はウズベキスタンに出張です」と聞いて、思わず運命を感じました。