「J-MICC研究-千葉地区」千葉県がんセンター
千葉地区のJ-MICC研究は、千葉県北西部の千葉ニュータウンの中心の市である印西市で2006年にスタートしました。さらに、2008年にはかつて多くの文化人が居を構えた「北の鎌倉」とも称される我孫子市、2009年には県の中核市であり交通の要衝でもある柏市の2市も調査対象に加わりました。このJ-MICC研究千葉地区は千葉県がんセンター研究所がん予防センター(疫学研究部)が担当しています。印西市でのベースライン調査では対象年齢(35~69歳)の住む全戸に調査協力を求める文書を発送。また、我孫子市と柏市ではポスティングによるリクルートを行いました。現在、ベースライン調査で協力を得られた約8,100名の参加者を対象に追跡調査が行われています。
(取材日:2015年10月20日)
研究や病気の予防に目を向けてくれる住民は私たちの同志です
三上春夫氏(千葉県がんセンター研究所がん予防センター(疫学研究部)部長)
- J-MICC研究に関わっているスタッフの職種と人数、対象コホートについて教えてください
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三上氏 研究者3名、看護師5名、栄養士1名、事務および外部スタッフがそれぞれ数名関わっています。その他、参加協力を仰ぐためのポスティング時にはNPO法人の数名の保健師が申し込み窓口の業務を担当してくれました。対象コホートは印西市、我孫子市、柏市が中心です。35~69歳の住民が対象ですが、東京のベッドタウンなので比較的若い方が多くなっています。千葉地区の特色としては、自発的に参加してくださった男性サラリーマンが一定数いることが挙げられます。無料血液検査サービスとして腫瘍マーカー、脂質代謝、腎機能、肝機能といった臨床に直結した検査項目を加えたことで、働き盛りの男性に関心を持っていただけたのではないかと思います。
- 調査の進捗状況はいかがですか
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三上氏 2012年から2次調査に入りましたが、response rate(参加率)が毎年50%以上と高く、これも千葉地区の特色になっています。2次調査は2015年7月現在で3,000名が追跡対象で、今後も増えていくでしょう。
- 三上先生がJ-MICC研究に関わるようになった経緯について教えてください
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三上氏 千葉県はピロリ菌関連の胃がんが多く、私は1万人規模のピロリ菌コホート研究を進めていました。そうした経緯があって声をかけていただきました。ピロリ菌疫学調査のコホートの最後の地区はJ-MICC研究ともオーバーラップしました。
- 1次調査時には研究者は三上先生お一人だったとのことですが、そのときのご苦労は?
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三上氏 検体の扱いには気を遣いました。受託臨床検査事業を行っている大手企業などの協力も得て、ここまでたどりついたわけです。検体は温度が上がると成分が変化してしまうので、採取したらすぐにバイク便で冷凍保存できる場所まで搬送できるようにタイムスケジュールを組んだことを憶えています。そのノウハウをJ-MICC研究の他の地区にも説明しました。また、逆に私たちも検体処理の方法を他の地区の方に教えてもらいました。J-MICC研究がうまくいっているのは、ポスティングの方法や検体の扱いなどのノウハウを互いに学び、それぞれの地区が共有していることも大きな要因になっていると思います。
調査票 - 疫学研究の面白さはどこにありますか
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三上氏 疫学は病気の入口のところを見ます。私はもともと救急医でしたが、救急医は病気が発病する出口を見るわけです。疾患の最初と最後、つまり原因と結果を見ることで、病気というものの全体像が浮かび上がります。
- 疫学にはいつから携わっていらっしゃるのですか
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三上氏 学位を取得したのが公衆衛生学教室でしたから、疫学にも早くから親しんでいました。公害が大きな問題となっていた時代で、大気汚染と小児の健康障害を研究していた吉田亮先生(千葉大学)のもとで学びました。私自身も、地理的な位置情報に着目して疫学的な分析を行う地理疫学などに興味がありました。例えば、幹線道路50m圏内に住んでいる人は肺がんや胃がんのリスクが高いといったことや、送電線25m圏内にはリンパ腫や血液がんが多いといったことも疫学研究で明らかにしました。
- 千葉地区では一部の参加者を対象に体質診断を行っているそうですが?
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三上氏 千葉県がんセンター研究所では、個人の体質とがんになった県民の関係を調査するゲノムコホート事業を進めてきました。これも私たちの強みだと考えています。私は、自分の未来を知ることはその人にとって重荷になるのではないかと考えていました。しかし、アンケート調査を行ったところ必ずしもそうではないことを知りました。「私は家族に対して責任があるから、自分がどういう病気にかかりやすいかを知りたい」という前向きな考え方の人もいるのです。
- J-MICC研究のやりがいは?
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三上氏 こういう研究や病気の予防に目を向けてくれる住民の方は私たちの同志です。そういう同志が増えていくことを嬉しく思います。また、私たちがリクルートした人はJ-MICC研究全体では東日本を代表する集団です。というのは、J-MICC連合を除くと千葉地区は日本で最も北に位置します。ですから、東北や北日本の人の遺伝的背景もやや含んでいる可能性があり、私たちは東日本を代表しているつもりで研究に携わっています。
- 仕事で大切にしていることは何ですか
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三上氏 協力してくれた人にしっかり向き合うということです。参加者から電話が来れば嬉しいですし、さらに「肺がんなどが初期で見つかって治療して元気になった」といった報告を聞くと、少しはお役に立てたのかなと思います。私は研究者というよりも臨床の立場で考える傾向が強いのかもしれません。しかし、疫学研究へのそういう関わり方があってもいいと思います。
- 先生が仕事を離れてほっとするときは?
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三上氏 お住民の方に検査結果を発送し終わったときです。疫学研究に関わっていると、仕事からはなかなか離れられませんね。
クリニカル・ジェノミクスの視点もJ-MICC研究に加えていきたい
永瀬浩喜氏(千葉県がんセンター研究所所長)
- 疫学研究に携わることになった経緯を教えてください
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永瀬氏 私は、もともとは小児外科医でしたが、1990年代初めに遺伝学研究を始め、がんの疫学研究に長く関わってきました。スタートは1991年で、がん研究会の中村祐輔先生のもとで家族性の大腸がん発症に関わるAPC遺伝子の研究に携わりました。その後、マウス腫瘍遺伝学の研究に従事するようになり、米国でエピジェネティクスや複雑な遺伝系解析の研究などを手がけました。
- 臨床家からなぜ遺伝学研究者に?
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永瀬氏 小児がんは希少であり、臨床試験を行うだけの数が集まらないので、なかなか創薬に結びつきません。そこで、大人と子どもと共通の原因遺伝子を見つけて、まず大人で薬を作ってからそれを子どもに応用できないかと考えたのです。そして1997年、ソラフェニブ開発中の米国ONYX製薬でがん遺伝部門のプロジェクトリーダーとして創薬開発研究に関わるようになりました。現在は、主にゲノム創薬に関わる仕事をしており、例えば特定の化合物で抗がん剤をがん遺伝子変異にピンポイントで運ぶシステムを開発しました。
- ゲノム創薬のお仕事はJ-MICC研究にも関係してくるのですか
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永瀬氏 2015年1月に米国オバマ大統領が一般教書演説で「Precision Medicine Initiative」を発表しましたが、そこで米国大統領として初めてゲノムに言及し、退役軍人100万人以上を対象としたコホート研究を行って個人ゲノム情報を収集してがんの予防に力を入れることを明言しました。それを受けて2015年9月に日本でもゲノム医療実現推進本部が設置されました。がんの予防が可能なのは約20%と言われています。早期発見して治療をすれば治る人も何割かいます。しかし、早期に治療を始めても治らない人が確実に存在し、そういう人をどうするかが大きな問題です。最近、がんに効果のある治療薬の開発が進められていますが、莫大な費用が必要ですから、薬価も高くなり、ほとんどの人はその恩恵を受けることができません。そこで注目されているのが個別化ゲノム医療です。がんになったときにその人にはどういう薬を使えば確実に効くかをゲノム情報から予め調べておくことで効率的な医療が実現されます。こうしたクリニカル・ジェノミクスの視点もJ-MICC研究に加えていきたいというのが私たちの考えです。
- J-MICC研究で得られたデータの解析ですでに明らかになったことはあるのですか
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永瀬氏 印西市や柏市の地区は利根川水系ですが、がん登録事業によって利根川水系の地域では、がんの多いことがわかっています。かつて北海道・東北からの物資は利根川やその分流、江戸川などを経由して東京に運ばれました。その過程で「野田の醤油」に代表されるように味噌や醤油など塩分の濃い発酵食品が多く作られました。利根川水系で胃がんの多い原因を調べてみると、環境因子よりもむしろ遺伝因子の強いことが示唆されています。J-MICC研究参加者のうち、がん罹患者・死亡者について調べたところ、約50の遺伝子が関連している可能性が示唆されました。この50の遺伝子は他の地域ではあまり見つかっていないものです。以前から、利根川水系に住んでいる方は同じ地域の人同士で結婚するケースが少なくありません。そうして混じり合った遺伝子が変異するパターンによってがんが発症するのではないかと推測しています。
- 先生が仕事に向き合うときに大切にされていることは?
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永瀬氏 仕事を「仕事」とは思っていないのです。むしろ、給料のもらえる趣味であり、ボランティアだと考えて取り組んでいます。お金のために誰かに頼まれてやっていると思ったら疫学研究などできません。
- 気分転換の方法などは?
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永瀬氏 走ることでしょうか。若い頃は年に2、3回ハーフマラソンに出ていました。最近は学会出張のときなど早朝に走るようにしています。
マイナスをプラスに変えるよう努力する
中村洋子さん(千葉県がんセンター研究所がん予防センター主席研究員)
- どのような経緯でJ-MICC研究に関わるようになったのですか
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中村さん 大学の卒業研究でがんの研究に携わり、それがきっかけで卒業後に千葉県がんセンター研究所を紹介されました。その後はがん遺伝子やがん抑制遺伝子の機能解析などを行っていましたが、がん予防センターに異動した2014年4月からJ-MICC研究に参加することになりました。
- 疫学研究の成功の鍵は何だと思いますか
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中村さん J-MICC研究に限りませんが、研究は目的を成し遂げるために広い知識や経験が必要です。そして、そこから生まれたちょっとしたアイデアや閃きが鍵になることが少なくありません。偶然に左右されることもあります。研究というのはそういうものだと思います。いずれにしても、研究に興味をもって、うまくいかないことがあってもマイナスをプラスに変えるように努力していけば成功につながるのではないでしょうか。
- J-MICC研究の意義をどうお考えですか
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中村さん J-MICC研究は10万人以上を対象に20年間追跡します。協力者の中には結果が自分に返ってくると考えている方もいますが、実際には結果は長いスパンで研究を継続した中から生み出されてくるものです。ですから、協力者にはむしろ子孫の方に役立つものですとお話ししてご協力いただいていますが、未来の人類のために役立つ壮大な研究だという点に大きな意義があると思います。
- 疫学研究の面白さはどこにありますか
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中村さん 疫学は長期にわたって厖大な資料や検体試料が蓄積されて、疾患の原因や統計的な傾向が見えてきます。結果はすぐには出ませんが、何十年か先に人の生活に密着した病気の原因などが見えてくるのが面白さだと思います。
- J-MICC研究における抱負をお聞かせください
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中村さん J-MICC研究で得られた検体を使った別の研究にも携わっているのですが、そちらの最終目標はがんの予防・治療・予測に結びつくような分子診断技術を開発することです。現在、がん関連遺伝子の配列情報などを解析してリスクマーカーを探索していく研究に取り組んでいます
- 仕事に向き合うときに大切にしていることは何ですか
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中村さん 仕事の優先順位を決めて、やれるところからどんどん進めていくことでしょうか。勤務時間は一応あるのですが、研究に従事しているとそれだけではとても終わらないので、みなさん土日関係なく出勤して仕事をしています。
- 仕事から離れてほっとするときや趣味は?
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中村さん 旅行が好きで、温泉に行くこともあります。実際にはなかなか行くことができないのですが、リタイアしたらゆっくりと秘湯めぐりでもしたいですね。それまで元気でいなければならないので健康が一番です。それから、職場のテニスサークルにも参加しています。以前は大会にも出ていましたが、最近は応援や打ち上げだけの参加に回ってしまいましたが(笑)。でも、忙しい仕事の合間に、同じ職場にいてもなかなか会えない人とたまに会うのもリフレッシュになります。
館野公一氏(外部スタッフ)
- ポスティング時に配布したリーフレットの制作などを担当したとのことですが、どういう経緯でJ-MICC研究に関わるようになったのでしょうか
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館野氏 以前から三上先生と個人的に親交がありました。2人とも映画が好きで、パソコン通信の時代に映画の電子会議室で知りあったのです。後年、J-MICC研究が始まるにあたって一般向けのパンフレットが必要だとのことで声をかけていただきました。当時、私はある印刷会社で編集・制作進行の仕事をしており、パンフレットの書き起こしからデザインなどをお手伝いすることになったのです。パンフレット以外にもJ-MICC研究では同意書などさまざまな文書が必要で、そうした文書のフォーマットの作成にも関わりました。
- ポスティングによるリクルートの計画にも関わったそうですが、どういったことを考慮されたのですか
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館野氏 私がポスティングに関わったのは我孫子市と柏市ですが、J-MICC研究の性格上、なるべく一戸建てを対象とすることになりました。というのは、追跡調査が必要なので、短期間で引っ越してしまう賃貸マンションやアパートなどの居住者は向かないのです。我孫子市や柏市でも駅から少し離れた地域では今も農家が多いのですが、移動も少ないので追跡しやすく、しかもレスポンスが良いのです。そういったことを考えながらエリアを決めて、ポスティング業者に手配するといった仕事をしていました。
- そういったノウハウがあるのですね
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館野氏 私は、かつて地図を作る仕事もしていました。地形やその町の成り立ちを見るといった地図の読み方があるのです。また、市役所などへの取材もしました。例えば、ある団地が市営のものかUR都市機構の団地かで住民層が違ってきます。そういうことを調べた上でチラシのまき方を決めるわけです。あるいは、健診会場への交通の便を考え、バス路線の周辺を中心にまいていけば参加率が上がるだろうといったことも考えました。